ゆうこの夢

女装子

Keith Dont Go !

全てのドアを開けたのは、ビートルズだった!彼等は、いつも一歩先をリードしていた。デッカ時代のストーンズも、カバーだけでは先が無いと、マネージャーのAオールダムにうながされて、ミックとキースによって、オリジナルアルバムを発表する事にる。66年アフターマス余波、と題されたアルバムは全てオリジナルでリリースされる!この頃から、主導権はブライアンからミックに移ってゆく、皮肉にもビートルズは、この年を最後ライブ活動を辞めているのです!逆に、ストーンズは、ライブ活動が中心になって行くのと同時に、退廃的なバンドになってしまいます!ブライアンの恋人のアニタは、キースになびいてしまい、ブライアンとキースの間に溝が深まります。ブライアンは、ドラッグと酒に溺れてしまい、ついに69年5月にはストーンズを去る事になるのです!ブライアンの後に入ったギタリストは、ジョンメイオール・アンド・ブルースブレイカーズの若きギタリスト、ミックテイラーに決まって、ハイドパークのお披露目ライブのはずが、7月3日にブライアンは、自宅のプールで水死体で見つかったため、ハイドパークのライブは、究極ブライアン追想ライブとなってしまいます!この年は、ストーンズ最悪な年で12月にカリフォルニアのオルタモントスピードウェイで行われた野外ライブで、暴動が起き黒人青年がストーンズの目の前で、殺されてしまいます!後に、オルタモントの悲劇と言われた事件です。時代は70年代に変わりつつある、新しい時代の光が見えてきた事を告げるように、ストーンズも変わりつつあるのでした!